アマヤドリ -405ページ目

その時私の目はどこにあったのか?

夢を見た。


髪をひっぱるとそれがするすると伸びる。でもところどころ伸びきったところでするりと抜けてしまう。私は何処が伸びて何処が抜けてしまうのか気になってずっとその作業をしている。
しばらくして自分の頭がまだらで格好悪いことになっていることに気づき、ちゃんとどうなってるのか見ようとする。


体育座りの膝の上に自分の頭を向こう向きに乗せ、自分の後頭部が大分はげちゃっているなあとがっかりする。

そうしながら、「よく考えたらこうやって自分の頭をしげしげと眺めたことないなあ」と思う。色んな角度から自分の後頭部や頭頂部を見るが、正面から自分の顔を見ることだけは約束として許されないことになっているらしく、好奇心を抑える。
はげちゃって外には出られないくらいのひどい頭なのに、「何か故障した草刈り機で刈ったみたいだなあ」と苦笑するだけだった。

焦燥

すごく映画が見たかったり寝る間も惜しんで読書したかったりキチンとお洒落をしたかったり無性に稽古に行きたかったりする。その衝動はすごく烈しくていっときはぎゅいーんとのめり込むのだけど、それと同じくらい急激にまた忘れてしまう。
哀しい事に熱しやすく冷めやすい、のかもしれない、私は。


最近それを自覚して茫然となった。
一度冷めてもまたしばらくすると再燃するのだけれど。

こつこつ何事も続けることが出来たらもう少し自分は変われるのではないかと思うこともある。無理やり自分の気持ちを鼓舞してみたり、どうしてなんだろうと寂しく思うこともある。
これからもずっとこういう傾向が続くなら私の人生は私が望むようなものになるのだろうかと不安に陥ることもある。物事に飽きっぽい傾向はきっと何事に対しても通じるものだろうし、その結果、いつかどこかで何かを後悔しそうに思うから。

自分の中の傾向というものはなかなか変わるものじゃない。悪い癖とか嫌な部分の方がまだ少しは直しやすい気がする。変な癖のついた中古車のハンドルのように、修正しているつもりなのにいつのまにか片寄ってゆく。
これは自分に対する言い訳なのかな?それとも、直らないのはもしかしたら私がそれを心のどこかで諦めているからなのかもしれない。それとも、「直らない」という呪縛にかかっているだけなのだろうか。
本当に好きなことなら続けることが出来るのだろうか。むらなどなく「続けよう」という意識すらなく。
…自分では本当に好きなことだと信じているんだけれど。

心の底から何かに熱中する性質を私は持ち合わせていないのではないだろうかと疑ってしまうこともある。そしてそれは私という人間である限り修正できないことなのではないだろうか、と。
たとえその事を自分自身がどんなに悲しく思っていても。
多分年を取るにつれそんな自分とも上手に折り合いをつけていけるようになるんだろう。それはそれで楽そうだけど…寂しい気もする。

ああ、心って、複雑。曲がり角の向こうが全然見えない。
分かれ道で向かった筈の方向と全然違う方に来てたりする。いつのまにか遥か昔の分岐点に戻っていたり。
海の底より暗く深くて、空の果てよりたくさんの星がまたたいている。

何万光年もはるか

冬は好きだ。

夜空が好き。

オリオン座が見えると、「今年も来たね!」という感じで嬉しくなる。

目玉が冷たくなるほど寒い夜には星がきんきんに冷えつつ光っていて。

絶対太陽みたいに暑く燃えているなんて嘘だ。


あの星たちを覆っているのは触ったら切れるような冷たい炎に違いない。

世界の終わりを告げる雲

船から遠い水平線を眺めていると今まで雲だと思っていたものが水面にゆっくり零れてきた。雲は恐ろしい速さで拡がり私達に近づいてくる。
私は何故かその雲の中では息が出来ない事を知っている。

気付くと周りは薄靄が立ち込め友達は半分意識を失ってぐったりしている。私は私より大分体重のあるその人を抱き、新宿の一番高い建物を目指し走った。
雲は都会にまで届いていて街は混乱の最中だ。でもその高層ビルの天辺にはまだこの子を助ける酸素がある。ビルは緊急時でエレベーターが動かない。

私は何十階という非常階段を駆け登る。重さは感じない。ただ必死なだけ。
最上階はガラスに囲まれた部屋で、外の白白とした明るさを見ることが出来る。混乱を予想していたけれどもそこは案外静かだった。人もまばらだし、働いている人さえいる。

実際戦争が始まったらこんなものなのかとちょっと気が抜けつつも、リアルで怖い。
私は友達のことをすっかり忘れ、ガラスの外に見入る。


世界は白くて温度が低くて清らかにすら見える。時折光る粉が降っている。綺麗だけれどそれは最新鋭の兵器で、触れるだけで命を落とすのだ。
すっかり雲に覆われたビルのふもとはどんどんせり上がって来る。
不思議と怖くはなかった。空っぽの明るさだけが目に痛かった。

どうして私の「世界の終わり」的夢は、いつも新宿の高層ビルが出てくるのかな?

ひまわり

その人はわたしを「ひまわりのような女の子」と言った
わたしはそれがとても嬉しくて
その言葉を心のどこかにそっと仕舞って
たまに取り出しては体をあたためていた

いつも前向きでその力をわたしにも認めてくれていたひと

寒空の下で、そのひとを想う
この分厚い雨雲にまぎれて
きっとわたしの近くにもいる筈だから

どうか、どこか違う場所に行ってしまったのだとしても
そこでまた元気で幸せでありますように